病気はメッセージという事を、以前の記事でも書きました。
カラダは、常にメッセージを送り続けてくれていて、
生き方のナビシステムなのではないかと、私は思っています。
(子供や若年性の病気は別として)
肩こりとか、ちょっとした体調不良もメッセージなのに、
私たちは、それに気づこうとしない。
ただ、早く治ってくれたらいいなと思ってしまうだけ。
小さなメッセージを無視しつづけていると、
更に大きなメッセージとして届ける必要があって、、、
それが病気なんじゃないのかな。
私の周りで多いのは、
婦人科系の病気をしている人です。
皆、周りの人のことを スゴく大事にしている
“ いい人 ” な気がします。
自分のことよりも、
子どものため、家族のために頑張る女性。
どんな時も、
相手の人への気遣いが素晴らしい女性。
母達の世代から、
自己犠牲を払う女性は素晴らしいと、
刷り込まれていた気がします。
私も、病気こそしていないけど、
できない気遣いばかり、気にかけていました。
相手の喜ぶことにばかり神経をつかう前に、
まずは、本当の自分の声に気づいてあげないといけませんね。
仕事でも、プライベートでも。
自分を大事にしてあげられないと、
ホントの意味で、相手を思ってあげられないよね、
… そう娘も言っていました。
自己犠牲を強いる優しさの陰には、
どこかで、そうしないと自分を認められないという
自己否定がちらつくような気がします。
少なくとも、私はそうでした。
病気の種類によって、
起因しているココロの状況が、だいたいわかると言います。
ココロとカラダは完全に繋がっています。
私の瞑想も、カラダの声に耳を澄ますことからはじまります。
違和感があるところに手をあてているうちに、
何かが感じられて来る。
カラダは神秘です。
もっともっと秘められた、
潜在的な機能があるのではないかと私は思うのです。
みなさま
もっと、カラダの声に耳を澄ませてみませんか。