父が亡くなってからというもの、
心の中はずっとザワザワしているのに
今までと何も変わらない現実が展開していることに
どこか違和感を感じつつ毎日を過ごしていました。
父が亡くなって悲しいとか、寂しいとか、
そういうわかりやすいものではなくて、
正体のわからない
ちょっと複雑なザワザワ感でした。
瞑想したり、
切ないバラード曲などに反応しまくる
自分を観察したり、
内側からわき上がって来るものを
何度も確かめていたのですが、、、
どうやら、
『愛と苦しみ』
というテーマだと気づきました。
“ 愛と苦しみはいつもセット ”
という私の中の定説です。
たとえば・・・
⇨ 恋愛は良いことばかりじゃない
(楽しいのは最初だけで)
⇨ しあわせな関係は、長く続かない
(何かしら問題発生する)
⇨ 愛には終わりがある
(しあわせな時から不安で仕方ない)
というような私の信じ込み、
ネガティブフォーカス癖。
さらに、さらに、
その感覚にどっぷり浸ってみて
ある日、気づいてしまいました。
「んっ? 」
「あれっ? 」
「えっっっ⁉ 」
その切なさ ( というか…悲劇のヒロイン? ) に
どこか酔いしれているジブンの存在に!
過去を振り返ってみても否定できず、
改めて自分の体質を自覚したのでした。
愛を失う苦しみを、自分の中で美化する作業。
ネガティブなエネルギーを昇華させて
つくり上げる芸術のような。。。
( 平たく言えば … 単なるM体質⁈ )
そして、そのこととは直接関係なく、
前に進む力が欲しくて、
私のカラダからメッセージを受け取って
ナビゲーションをしてくれるセラピストの友人に
レスキューを頼んでいたのですが、
そのお陰で、このテーマにつながる
オチ…大きな気づきがあったのです。
まさかの、
父からメッセージがあると伝えられ、
「父として愛情表現をしてあげられなかったこと、
お父さんがとても謝ってる」と。
その時は深く捉えられず、
「そんなこと、わかってる、わかってる〜」
などと応えてしまったのですが、
翌日になってから、
その本当の意味がわかりました。。。
『愛』というものに対する
私の恐れ、不安定感、
その根底にあったものは、
“ 父 ” だったのです。
セラピストの友人に
そのことをシェアしたところ、
私の胸のすごく深い部分に
大きな穴のようなものを感じて、
その時父からのメッセージを受けとったのだと
教えてくれました。
子どもの頃、父の笑顔というものを
見たことがなかった私。
寡黙な父と心が触れ合った記憶はありません。
私が結婚した年に脳内出血で倒れてからは
輪をかけて無口になり、そして晩年は痴呆症。
私は、父から得られなかった “ 安堵感 ” を
必死で誰かに埋めてもらおうとして、
いびつな愛情表現を
繰り返して来たのだと思います。
“母” という存在については
しつこく向き合って来た私だったけれど、
“父” という存在には
フォーカスしきれてなかったですね。
・・・これもきっと、父からのギフトです。
セラピーの時に、
「愛と苦しみって、セットでしょ」
と友人に言った時に、
(人間である以上、誰しも愛する人との別れの苦しみはあるわけだし…)
「みんながそう思ってるワケじゃないのよ」
と言われたのも、私にとっては目から鱗でした。
私のように
パートナーとの関係づくりが下手な人は、
お父さんとの関係を振り返ってみて下さい。
人生で一番最初の異性…お父さんが原点かもしれません。
これから改めて、父と心の交流を
深めていきたいと思います。
目に見えるかたちは消えたけれど、
今の方が近くにいる気がするから。。。