自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

胸のつっかえ

自分の中に、まだまだ昇華できない
父への想いがあることに
昨日、改めて気づかされました。



古い仕事仲間の友人から昨日メールをもらい、
駅のホームで涙が溢れてしまいました。。。


喪中ハガキを受けとり、父のことを知って、
改めてお悔やみの言葉をくれたのです。


彼女とのつき合いは、かれこれ30年。

お互い、ほぼ同時期に
結婚〜出産〜子育て〜子供の進学〜親の認知症を経験し、
同じエリアに住み、
娘同士も一年違いで同じ中高に通うなど、
縁が深いようです。



早くに実母を亡くしたこともあり、
彼女のメール文には、
悲しみに寄り添う温かさが溢れていました。


そして、驚いたのは、
父のことを覚えていてくれた事でした。


「小柄でやさしそうなお父様だったと記憶しています」
との文面に、

「えっ、なんで父のこと知ってるの? 」と
思ってしまったのですが、


落ち着いて考えてみたら、
私の手作り結婚式の時に
彼女がお手伝いしてくれたので、
面識があったのです。


それにしても、
そんな昔の事を覚えていてくれたコトに
感動すると共に、

父の記憶を共有できたコトが
心の底から嬉しく、また有り難くて
溢れる涙をこらえられませんでした。。。



私はまだ、父を見送った悲しみを
しっかり吐き出していないのだと気づきました。


いや、悲しみだけではなく、
父が愛おしかったことや
本当は父から深く愛されていたことを、

もっと、しっかり感じる必要があるような
気がするのです。



延命もせず、自宅で見送れた
納得の最期だったし、
すぐに仕事復帰して
何事もなかったように過ごしてしまったせいも
あるかもしれません。


どんな人にとっても、
親子の縁というものは、

言葉では言い尽くせないような
魂レベルの深い深い “何か” があって、

それは、しっかりと
味わい、向き合い、乗り越えていく
価値があるように思います。

時間をかけてでも。。。




「お互い、しっかりと
人生のフルコースを味わっていきましょうね」
と、友人へメールを返信しました。



人生には、
「○」も「×」も、
「勝ち組」も「負け組」も
なくて、


自分を生きること、

自分という存在を
受け入れて生きることこそ、

一番難しくて
尊いことなんだろうなと


低空飛行しながら
落とし込みをしている
今日この頃の私です。。。