自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

娘と抱き合って泣きました

お線香をあげさせていただくために
義父の遺骨がある古巣へいってきました。


義母の葬儀の際は
遺骨がすぐに郷里である長野へ行ってしまい
拝ませてもらう機会を失ってしまったので、

今回は後悔したくないと思って
両親ふたりに想いを届ける気持ちで
出向きました。


実は、夫の都内の実家は
人に貸してしまっていて遺骨が帰る家がなく、

長野のお寺に入るまでの間、
家で預かっていると娘から聞いたからです。


こちらの記事の続きです⇨



古巣でどんな状態になっているのかと思いきや、

布団や洗濯物も置いてある和室の家具の天板上に
お線香と家族写真があるだけで、
遺骨は床置きで移動用ケースに収まったまま。

出迎えてくれたのも娘だけ

・・・・・。


仙台の父の時とのあまりの違いに
少し驚きました。


いまどきの都会の核家族の様子は
案外このようなものなのかもしれませんが、


小学校の教師をしていた義父は、
本当だったら、沢山の人たちに
見送られるはずだったのではないかという
想いもよぎりました。




用意してきた春の花を飾らせてもらい、

お酒が大好きだった義父には日本酒を、
義母にはいつもお土産にいただいていた
思い出のみすず飴をお供えし、

娘とふたりでケースから遺骨を出して
お線香をあげました。



そのあと、娘と
おじいちゃん、あばあちゃんの話を
していたのですが、

その時、、、

何故か、ふっと、
家の中の照明が消えました。



「あれっ? 電気消えたよね。

あっ電話の電源も落ちてる。

ブレーカー落ちたのかな?

電子レンジとかも使ってないのに、

なんで…? ? ? 」



などと言っているうちに、

また、ふっと電気が復活。




「・・・・・? 」



「おじいちゃん〜 〜 〜〜〜!!!」



娘と抱き合って

大声で泣きました。




ここにいるよと
言ってくれているようで、

私の訪問に
応えてくれたようで、

胸があつくなりました。




「すごいね、すごいね、

おじいちゃん、喜んでくれたね」

と言いながら
ふたりで鼻水をチーン。



そして、
またしばらく
おしゃべりをしていたら、、、



再び、ふっと電気が消えたのです。



「 わーーーーーーーん 」


娘と抱き合って、
またまた大声でひとしきり泣きました。



「いまのはおばあちゃんだよね」

「うん、まちがいないね!」


涙 、涙 、涙 。



そして、ふっと…

電気は、また元通りに。




何もできなかった私に
夫の両親が許しをくれたような気がして
なりませんでした。


勝手な妄想だと笑われるかもしれないけれど、
私たちの胸に響いたことは事実。



深い深い

愛を感じたのです。。。


ありがたくて

ありがたくて

胸がいっぱいになりました。




義母が入所していたのと同じ施設に
義父も入ることになり

ふたりとも
かなり認知症が進んでしまったので、
お互い、夫婦であったことも
わからなかったはずですが、

せめて同じ施設に居ることができて、
しあわせだったのではないかと思います。



おじいちゃんと、おばあちゃん、

喧嘩いっぱいしてたみたいだったけど、
ラブラブの魂だったんだろうね

と娘と笑いました。




そして、

娘いわく、


いま

夫は

その施設で

働きたいと

言っているらしいのです。



現在の仕事は全く畑違いですし、
一瞬、驚きましたが、
とても運命を感じました。


それに

「ありがとう」と言ってもらえる仕事は
夫にとって最高の仕事なんじゃないかと
思いました。


本当にそうなったら
ビンボーまっしぐらだろうけど (笑)。




今回のことで
夫も、弟(独身)も
いろいなことを感じているはず。

まさに、転機です。


これから
何がどうなるかわかりませんが、

次なる扉を信じて
待ちたいと思います。。。