自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

父を見送って・・・

長く痴呆をわずらっていた
仙台の父の体調が急変し、
先日、自宅で家族と共に見送りました。
84歳でした。


あっという間の出来事でしたが、
素晴らしいギフトを沢山残してくれました。

母も満足げでした。


実は、少し前から喪服が気になっていて、
これは何だろうとぼんやり考えていたんです。
… なので、母から電話があった時、
父とのお別れが近づいていると直感しました。


風邪を引いたのをきっかけに、
身体の自由が利かなくなって、
急激に食欲も落ちたと聞かされたのが、
二週間ほど前。

長く老々介護で大変だった父と母だから、
きっと安らかなお別れが
迎えられると信じていましたが、
本当にその通りでした。



当初、母は父の体調を戻すため、
病院に入れて検査させようかと迷っていたのですが、

「もう十分生きたし、
たくさん面倒みてもらって
お父さんシアワセ者だよー!」

と伝えたところ、覚悟が決まったようで、
かかりつけのお医者さまにも応援していただき、
延命措置は一切せず、自宅で看取ることとなりました。
(近頃は、自宅で最期を迎える人が
増えつつあるらしいです)


私が家に着いた時、言葉は出せなくとも
何となくわかってくれたようだったし、
父の好きだった演歌のDVDにも反応してました。
DVDプレイヤーが最後のプレゼントでした♪

ヘルパーさん、看護士さん、入浴サービスの方、
皆さんが入れ替わりで訪問して下さり、
たくさんたくさん愛をいただけて、
本当にシアワセ者だったと思います。


亡くなったのは、
食事を全く摂れなくなって9日目。

そして最期の瞬間は、
母と兄と私がいて、家族4人でした。

呼吸が止まった時、
気道を確保しようと兄が父の身体を抱えたら
一瞬息を吹き返したのですが、
それが最後でした。

確執があった父と息子でしたが、
息子の腕の中で亡くなるなんて〜

父がおこしたミラクルです!



でも、一番感動したのが、
亡くなった後の父の顔が
昔のきりりとした顔だったこと。

父を覆っていた痴呆という魔法が解けて、
本来の父の姿に戻って旅立ったのだと感じました。


何も摂っていなかったのに、
あまりゲッソリもしていなくて、

「ホントにいい顔してるね、男前だったんだねー!」
と納棺の時も、皆で笑いました。


こんなに涙の少ないお別れって、
なかなかないんじゃないかしら。

母なんて、大変だった介護も
いい思い出しか残ってないみたいで、
ナイスなボケ具合です(笑)



また、葬儀も終わった後、
これからの事について
兄と話すことになったんですが、

「兄ファミリー」と「両親」は、
まるで家庭内別居状態だったから、
なるようにしかならないだろうくらいで
期待はしていなかったんです。

でも、いろいろ話しているうちに、
今後の事務手続きのこと、お墓のこと、母のことなど、
実は兄もいろいろ真剣に考えてくれている事が
徐々に伝わってきて嬉しくなりました。


「いろいろお願いしてしまって申し訳ない」
と言った私に、

「そんなこと言うな。二人しかいない兄妹なんだから…」
と言われた時には、ジンと来ちゃいました。


成人して以来、
こんなに兄と話すなんて初めてだったし、
心が通じるような会話をした
記憶もなかったので、

これも父が残してくれた
ステキな贈り物だと思っています。

お父さん、なかなか高貴な魂だったみたい。
ありがとさんです♪



亡くなった夜に、
深いところで私は何を感じているのかと
棺に入った父を前に瞑想してみたところ、

ちっとも悲しくないのに、
涙がぽたぽたと落ちてきました。

父の魂と、私の魂が交信して
何か感じ合ったかのようでした。



聞いていた通り、
自然な死は苦しくなかったし、

むしろしあわせで、美しかった。


私にとって、父の死はそんな体験でした。。。