自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

母への報告と新しい自分  

気仙沼行きの前日、
実家に一泊させてもらった際に、

や〜〜〜っと、母に別居の報告ができました。

いろいろ思い悩んでいただけに、
何だか拍子抜けな感じでしたが 。。。



予定が近づいてきた頃、
自分の中に重たい感情があることに気づきました。

向き合うと、、、母の事が出て来ました。



何が重たいのか、自分に聞いてみたところ、
こんな答えが返ってきました。

→別居の事を伝えた後の母のショックが心配。
痴呆症の父の介護でゆとりがない母を、更に落ち込ませていいのか。

→どんな言い方をしたらいいのだろう。
すんなり納得するとは思えないし、
何をどう伝えたら母の気持ちが落ち着くのか。

→母から何を言われるだろう。
責められたり、おとしめるような事を言われることが恐い。
見下されてダメ人間のように言われる度に、
私は深く傷ついてきたから…。


そこから、更に深く探っていきました。


昨年の夏、
叔母達に別居のことを伝えた時の事が思い出されました。

思い切って伝えた時に、叔母やいとこ達が、
笑ってくれた時のこと。

自分らしく生きようとしている私を
少しも咎めることなく、
笑顔で受け止めてくれた、あの時の体験は、

私にとって、
とても大きなことだったのかもしれない、、、

涙があふれていました。



私は、母に自分のことを認めてもらった体験がない。
私の中の苦しさに一度も寄り添ってもらった体験がない。

結婚し、、、母になってからも、
会う度に至らないところを指摘され、努力が足りないと言われ、

そんな言葉に反発しながら、
どうせこの人に話したってわかってもらえない、

最後には、そんなもやもやしたイヤな気分だけが残る
…そんなことの繰り返し 。。。



私が、長い間探し続けて、必死の思いで決意した
“自分らしい道”、“自分らしい選択”

常識とか、世間体とか、そういうことと関係なく、
自分を生きると決めた気持ち、覚悟。


一番認めて欲しい、わかって欲しい、応援して欲しい人に
届かない虚しさ。。。


そんな悲しみに浸っている時、

ふと、こんなメッセージが来たんです。


〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


母の問題ではない。

、、、全ては、私の心の中の世界で起きていること。


その悲しみ自体も、

私自身ではなく、

別な存在 … 幼子がぐずっているだけ。


私は泣いている幼子のドラマを見て

感情移入しているだけなんだ。


、、、そんな図式が見えました。


本当の私が揺らいでいるワケではない。

常に私は安定していて、輝いている。


そう感じられたのでした。


〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


今まで、アタマで理解していたことが
こういう事なんだよと
リアルな感覚として諭されたような感じで、、、

ある意味、
ショックというか、驚きでした。



そんなこともあった、数日後の実家滞在、


夜、寝る前、母に思い切って
「 報告があるんだけど… 」と言い出し、

別居している話をしたところ、、、
( あえて離婚という語句は出さず )


何と、叔母から、少し状況を聞いていたとかで、

「 ショックだったけど、、、
 私たちだって、もう先が短いから… 」と、

決して歓迎はできないけど、しょうがない的な反応でした。


「父娘も、いい関係になって、
みんなが幸せな状態なんだから、安心して…」と伝え、

あっけなく報告は終了し、眠りにつきました。


口止めしていた叔母に、
やられたな〜という気はしましたが、
これで良かったんだと思うことにしました。



夫へ家を出ることを伝えた時と同様、
はっきり『離婚』という話はしませんでしたが、

そこに続く道はできたと思うので、
あとは、自然な成り行きにまかせようと思います。




先日のメッセージ以来、

何かがはっきりと変わったことが感じられます。


新しい自分 。。。


これが、長い間、求め続けて来た、

答えのひとつなのでしょうか 。



このことは、後日、
改めてじっくり書きたいと思います。