気仙沼行きの前日、
実家に一泊させてもらった際に、
や〜〜〜っと、母に別居の報告ができました。
いろいろ思い悩んでいただけに、
何だか拍子抜けな感じでしたが 。。。
予定が近づいてきた頃、
自分の中に重たい感情があることに気づきました。
向き合うと、、、母の事が出て来ました。
何が重たいのか、自分に聞いてみたところ、
こんな答えが返ってきました。
→別居の事を伝えた後の母のショックが心配。
痴呆症の父の介護でゆとりがない母を、更に落ち込ませていいのか。
→どんな言い方をしたらいいのだろう。
すんなり納得するとは思えないし、
何をどう伝えたら母の気持ちが落ち着くのか。
→母から何を言われるだろう。
責められたり、おとしめるような事を言われることが恐い。
見下されてダメ人間のように言われる度に、
私は深く傷ついてきたから…。
そこから、更に深く探っていきました。
昨年の夏、
叔母達に別居のことを伝えた時の事が思い出されました。
思い切って伝えた時に、叔母やいとこ達が、
笑ってくれた時のこと。
自分らしく生きようとしている私を
少しも咎めることなく、
笑顔で受け止めてくれた、あの時の体験は、
私にとって、
とても大きなことだったのかもしれない、、、
涙があふれていました。
私は、母に自分のことを認めてもらった体験がない。
私の中の苦しさに一度も寄り添ってもらった体験がない。
結婚し、、、母になってからも、
会う度に至らないところを指摘され、努力が足りないと言われ、
そんな言葉に反発しながら、
どうせこの人に話したってわかってもらえない、
最後には、そんなもやもやしたイヤな気分だけが残る
…そんなことの繰り返し 。。。
私が、長い間探し続けて、必死の思いで決意した
“自分らしい道”、“自分らしい選択”
常識とか、世間体とか、そういうことと関係なく、
自分を生きると決めた気持ち、覚悟。
一番認めて欲しい、わかって欲しい、応援して欲しい人に
届かない虚しさ。。。
そんな悲しみに浸っている時、
ふと、こんなメッセージが来たんです。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
母の問題ではない。
、、、全ては、私の心の中の世界で起きていること。
その悲しみ自体も、
私自身ではなく、
別な存在 … 幼子がぐずっているだけ。
私は泣いている幼子のドラマを見て
感情移入しているだけなんだ。
、、、そんな図式が見えました。
本当の私が揺らいでいるワケではない。
常に私は安定していて、輝いている。
そう感じられたのでした。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
今まで、アタマで理解していたことが
こういう事なんだよと
リアルな感覚として諭されたような感じで、、、
ある意味、
ショックというか、驚きでした。
そんなこともあった、数日後の実家滞在、
夜、寝る前、母に思い切って
「 報告があるんだけど… 」と言い出し、
別居している話をしたところ、、、
( あえて離婚という語句は出さず )
何と、叔母から、少し状況を聞いていたとかで、
「 ショックだったけど、、、
私たちだって、もう先が短いから… 」と、
決して歓迎はできないけど、しょうがない的な反応でした。
「父娘も、いい関係になって、
みんなが幸せな状態なんだから、安心して…」と伝え、
あっけなく報告は終了し、眠りにつきました。
口止めしていた叔母に、
やられたな〜という気はしましたが、
これで良かったんだと思うことにしました。
夫へ家を出ることを伝えた時と同様、
はっきり『離婚』という話はしませんでしたが、
そこに続く道はできたと思うので、
あとは、自然な成り行きにまかせようと思います。
先日のメッセージ以来、
何かがはっきりと変わったことが感じられます。
新しい自分 。。。
これが、長い間、求め続けて来た、
答えのひとつなのでしょうか 。
このことは、後日、
改めてじっくり書きたいと思います。