自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

サヨナラ「我慢体質の私」 

近ごろは、罪悪感を感じる場面も激減し、
不安が襲って来たら「はい、いつもの勘違い妄想〜!」と
すぐゴミ箱にポイっとしちゃえるようになったので、
もう激しいデトックスはないかな〜

… なんて思っていたら、久々にドカンと来ました。



週末、コーヒーを用意してソファに座り、
違和感を感じる肩とかを触ってみたら、、、
急に涙が溢れ出しました。

「 何、何、なんの涙 ? 」


… 聞いてみても、全くわからなくて、
しばらく嗚咽が続いたところで、


この世に生れ出た頃のこと、
小さい頃のことが出て来ました。




“ この世界に安堵はない ” と感じていた私。。。


小さい頃、
もののけの世界みたいなところで
必死に生を保っている
みたいな記憶がありました。
世の中に適応できなかったというか…。

この世界は、
怖くて (人から話しかけられるのもコワいし) 、
恐ろしくて (見えない恐ろしい存在におびえてた) 、
痛くて (怪我や治療や手術などの痛い体感) 。

とにかく、
ものすごく居心地が悪いから、

生きていくということは、
何とかそれらに耐えること。

誰も守ってくれないし、
誰もわかってくれない。



私は、そういう前提で
ず〜〜〜っと、生きてきたンだ。


そんな涙だったというコトが、
徐々にわかってきました。



だから、生きる上で、私の選択基準は、

「これぐらいなら我慢できる」。

って、、、ガマンが前提〜⁉ (笑)



欲しい方、楽しい方、嬉しい方
…っていう発想は生まれた時からないから、


仕事も、結婚も、住むところも、

苦しくない方、
我慢できる方、
マシな方を選んで、

その中で、
小ちゃなシアワセだけを
自分に許して生きてきたような。。。

贅沢言わない、小さな楽しみが、私の知っているシアワセ。
(美味しいもの食べるとか、リーズナブルな買い物するとか)



いままでの私の人生は、
“ガマン” と “小さな楽しみ” で出来ていた。

ぎゃっ!!!


そうかそうか、
つらかったよね〜!
苦しかったよね〜!

いっぱい、いっぱい、泣きました。
ティッシュ山盛りで。




して、ここからはメッセージです。

  ↓  ↓  ↓

 〜 〜 〜 〜 〜


これなら耐えられる … という選び方

もう、ここからシフトチェンジしなさい。


ベストを望んで良いのです。

遠慮せずに望みなさい。


あなたは自分に最高のものを与えて良いのです。

 〜 〜 〜 〜 〜



ありがたいメッセージ〜〜〜!



でも、でも、でも、


私が望むものが叶って良い … と考えた時 、
それを阻むものの存在があったんですっ!!


・・・・・。

望みが叶ってしまうと都合が悪い
ことがあるのです。



例えば、

【 理想の人に出逢うと →→→ 自己嫌悪が再発する 】
みたいに


願いが叶ってしまうと →→→ めんどくさい事がついてくる

そーゆーコトを、
どこか深〜〜〜いところで、
私は恐れていたのです。


表層ではシアワセを切望し、
深層では、拒んでいる。


そう、望みが叶わないのは、
喜びと表裏一体のリスクやデメリットを
受けとる覚悟がないからなのです。



そう、この数ヶ月、
私に来ているメッセージは、

ひたすら
「覚悟」、「覚悟」、覚悟」、、、
だったのですが、


シアワセになることこそ、
覚悟が必要なのかもしれません。


シアワセを願う時には、リスクも発生するのです。

家をでる時に、
乗り越えなければならないものがあったように。
(不安はいらないけど、リスクは受けて立たないとっ)




我慢マインドとさよならして、

リスク込みの幸せを

受けとる覚悟をかためること


そのことに、しばらく向き合うことになりそうです。。。