実家の母を見送りました。
4月に卒寿(90歳)を迎え、もう買い物に行くのも料理するのもホントに大変だし、
こんな感じでいつまで生きるんだろね、いつ逝っても全然悔いはないのに…と言っていた母。
以前、体調を崩して入院した時に、臨死体験らしき経験もあって、
向こうの世界に行くのはぜんぜんコワくない!と、日頃から申しておりました(笑)
近頃は、二週間に一度くらい「大したことじゃないけど話きいて〜」と、定期的に電話がかかってきて、「お迎え来るまでもう少しガンバってねー!」ってな感じで終わるパターンでした。
↓娘が想像で描いた ハットを被ったお茶目な母
母のラストステージがどんなものになるのか、、、8年前、老々介護で父を自宅で見送った時とは異なる状況ではありましたが、よき道が示されると信じ、受け入れようと覚悟していました。
1ヶ月ほど前に体調を崩して兄がかかりつけ医に相談、その後、救急で総合病院へ入院して約一週間でした。容態が急変し、駆けつけた兄も看取ることはできなかったのですが、誰もが納得の最期でした。母と同居していた兄ファミリーと、私と娘で、一気に納骨まで済ますことができました。
父の時も感じたことでしたが、魂が抜けたあとの顔や姿は、私が知っている煩悩いっぱいの生前とは違い、聡明でスッキリとした、“神に仕える者” という表情だったんです。住職が仰って下さった通り、肉体を離れた魂は、お釈迦様のもとで修行をするために昇っていくというお話もしっくりきました。
私たちが見ていた母は、現世の目的を全うすべく宿った仮の姿であって、目の前の崇高なお姿の母が、本来の魂の品格なのだと気づかされるようでした。
兄からの電話で母の体調を知らされてから、一度だけヘンな夢をみました。
公衆電話で話を終えた父が、「ばあちゃんは病院でもう亡くなったよ」と伝えてくれる夢だったのですが、、、母が病院で面倒みてもらえて良かったという安堵の気持ちと、先に逝ってる父が伝えてくれるなんて笑っちゃう、と思いました。
(その日、歩いてる時にてんとう虫が顔にぶつかってくるというおまけも)
実際、その日に母は入院し、兄たち家族に過度の負担をかけることなく病院で亡くなることが出来たので、やはり父がサポートしてくれたのだろうと信じています。
私に沢山の葛藤のタネを与えてくれた母。
超マイペースで半径10メートル的な生活だった母。
昭和だったから、物差しで叩かれたり、玄関から出されたり、まあいろいろありました(笑)
お互い勝気で合わなかったし、趣味嗜好も違うし、母のようになりたくないエネルギーから、外の広い世界に憧れて飛び出した私でしたし。
以前、ブログでも母に口答えした時の話を書いた気がしますが、母が生きている間に、私の中に抱えていたマインドの変容もあり、母との魂の約束は既に果たせたと感じていました。
まだ一周忌もあるから仙台には行くだろうけど、両親がいなくなり行く理由がなくなってしまうと思うと、地元の根っこが途切れてしまうようで、なんとも言えない寂しさが漂ってきます。
兄と私も、決して仲が良い方ではありませんでしたが、長い長い年月、母と同じ屋根の下で過ごしてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。納骨が終わってから、兄ファミリーにも心からの感謝の気持ちを伝えることができました。
先月の卒寿のお祝いに悩み、花が好きだった母に、厳選したプリザーブドフラワーを送ったのですが、「すごく気が利いてる♡」と喜んでくれて、何度もお礼を言われました。最後に良いプレゼントが贈れて、私も幸せでした。
煩悩から解き放たれた母の崇高な表情をみて、私の目の前に現れている新しい葛藤も、もっと俯瞰して、感謝の気持ちでのりこえなきゃと思っている次第です。