若い頃の口ぐせが
「 信じられない〜っ!」だった私。
人にも、自分にも、
許容できる幅はかなり狭かった気がします。
対応の悪いお店や騒がしい客に腹を立て、
期待外れな回答ばかりの取引業者にイラッとし、
毎朝、保育園の支度を急いでくれない娘にハッパをかけ、
価値観の違う夫に期待するのを止めました。
先日の記事で
“ 目に見えないもの ” を受け入れはじめて
現実との整合性に戸惑っている友人について
書きましたが、
(→ こちらの記事)
オトナ世代の私たちが
人間関係を息苦しく感じてしまう
その、根っこにあるのが・・・
『 正しさ 』であり、
『 白黒つけたいマインド 』
なのではないかと思います。
自制心が強い、頑張り屋さんの友人に、
以前のジブンを思い出しました。
『 正しくない人 』を
認めるワケにいかないのは、、、
『 正しさ 』を求めて、
必死に警めて来たジブンが、
ジブンの生き方が、
わからなくなってしまうから。
「 自分の娘に対して、
人に迷惑をかけるような人にだけは
なって欲しくないと思う… 」
と言う友人に、
「ふ〜ん、私なんて、娘に
“無断欠勤体験” すすめたりしちゃうけどね〜⁉」
と言ったら、、、
絶句してました!
( 安全に配慮しております。マネをしないで下さい…笑 )
“ 正しさ ” や “ 完ぺき ”
それらは、とても頑なで危うい。
“ 正しい人生 ” を歩むより
“ 自分らしさを楽しむ人生 ” を送りたいと
今の私は思う。
反対側に廻ってみたり、
裏返してみたり、
別の立場や、
別の国や、
時代が違ったら、
全く違うモノの見方ができたりするのだから
どんなに素晴らしいコトも…
「それもいいかも知れないな〜」
ぐらいの受け入れ方でイイし、
どんなに酷いと思ったコトも…
「きっとそれには理由があるんだろうな〜」
と思える余白を持っていたい。
人は、ひと。
自分は、じぶんらしく
行動すれば良いだけ。
(実はこれが簡単じゃないンだけど…)
夫と暮らしていた時には、
ずっと『 正しさ戦争 』を
続けていたような気がします。
両者とも、
自分なりの “ 常識 ” という
鎧でぶつかり合って、
擦り合わせることも知らずに、
それぞれ被害者ぶってました。
でも、本来、日本人のDNAは
白黒つけるように
設定されていないように思います。
『 曖昧さ 』は
“ 懐の深さ ” であり、
日本ならではの
美学なんじゃないかな。
ただ、永年自分を支えてくれていた
“ 正しく生きよ ” という
面倒くさいつっかえ棒は、
そう簡単には一掃できません。
違うソフトを立ち上げても
しつこく残っている環境設定のごとく、
その場、その場で
ひとつひとつ解除していく必要があるようです。
そんな私に気づいて、
ときどきひとり苦笑。
誰かや自分をコントロールしようとせず、
ゆらゆらとしなやかに揺れる枝のように、
自分らしい『 グレー 』を探していきたいです。
そこにお茶目さが加われば
… さらによしかな♪