自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

手首の手術を終え、健康と人生について 

 

半年前に骨折した左手首の金属を除去する手術のため、再び二泊三日で入院していました。

母の状況を知る前から手術の日程は決まっていたのですが、その後、病院の都合で一週間先送りとなり、母を見送ってから … という天の計らいなんだろうなと感じていて、実際、そのようになりました。感謝です。

 

超高齢者の場合は、固定の金属を除去せずそのままという場合もあるようですが、体内に異物があるのは良くないようで(母の大腿骨骨折の金属もそのままでした)、いつかやるなら早くスッキリしたいと思っていました。

 

 

病院から渡された除去した金属とボルトの画像、

思った以上に大きくて、こんなのが入っていたのかと思うと、無事、除去できてよかったと思いました。静かに過ごしていれば痛みはほぼありませんし、明日、デスクワークから再開予定です。

 

 

今回、子育てママとオトナ女子の四人部屋だったのですが、聞きたくなくても同室の方のお話が筒抜けで、いろんな人生があるんだなと思ってしまいました。

 

特に、お隣の方とソーシャルワーカーさんとの会話には驚かされるばかりで、昨年、海外から一時帰国してすぐに骨折して歩行困難となって障害者手帳を持つ身となり、今回、再び骨折されて、今後の相談をされていらっしゃいました。

そのような悲痛な人生の変化を、まるで世間話のようなトーンでお話されているご様子に、小心者の私は面食らってしまったのですが、いま考えるに、そのように自分を捉えないとツラすぎるからなのかもしれないし、もっと波乱万丈の人生模様を知っている方なのかもしれません。

 

つい先日も、心臓のたいへんな手術をした昔の仕事仲間と会ったのですが、病気知らずだった自分が、突然、障害者一級の身になってしまったという話を聞きました。大手の優良企業で働いていたから今のところ待遇は恵まれているけれど、今後どうなるのかを鑑みつつ、リタイヤのタイミングも考えていると言っていました。

 

数年前までリタイヤや終活について、全くリアリティがなかった超呑気者の私でしたが、骨折のアクシデント以降、いろいろ考えさせられるような場面を次々と天から与えられています。

 

若い時から大手の会社に興味がなかった私でしたが、いま大手企業でパートタイムもさせていただくようになり、確かに自由はないけれど、体力のある企業だからこその待遇もあって、別な意味で自分の中の評価も変わりつつあります。たま〜に、やり甲斐を感じるような仕事もできるようになったせいもあるかもしれません。わからないものですね。

 

自分に与えられたライフワークと、生活のための仕事、、、どちらも大事ですが、心身の健康あればこそ。そして、自分の人生の責任を取れるのは、自分だけ!

 

 

 

〜〜〜〜〜

 

〈手首骨折や入院に伴う備忘録〉

1. 骨折2日後に全身麻酔での手術。総合病院に二泊三日で入院。全治3ヶ月。

☐ 入院費用の支払いと返金手続き

健康保険組合(私の場合は文芸美術国民健康保険組合)に連絡し、限度額適応認定証の申請書類の郵送を依頼。入院費の支払い額は年収によって違う(年収370万円まで→57,600円/月)。月をまたぐ入院は避けたほうが良い。私の場合は、一旦、3割負担の金額(約15万円)をクレジットで支払った後、5日後に限度額認定証を病院へ持参し、現金で返金を受けた。(限度額適応認定証の有効期限は、7月末)

 

☐ 生命保険(全国共済)の請求

共済組合に連絡、状況を説明し共済金請求の申請用紙を依頼。郵送されてきた診断書用紙を病院窓口に提出して依頼。診断書の発行には3週間程度かかり、費用は4,000円〜5,000円。診断書の他に、事故状況の報告書、支払い請求書などを揃えて郵送で提出した。数日後に共済組合から追加提出分の連絡があり、領収書などを郵送した。最初の提出から振り込まれるまで8日間と早い対応だった。

 

2. 骨折から半年後に同じく全身麻酔での手術。二泊三日で入院。

☐ 入院費用の支払い

限度額適応認定証があるので、今回の支払いは限度額のみ。自治体の健康保険へ変更を計画していたが、入院費の支払いが終了した月末に行うことにしている。

☐ 生命保険(全国共済)の請求

入院前に共済組合へ連絡、前回入院〜今回の状況を説明し、申請用紙の郵送を依頼。前回請求した後の通院分も請求可能との説明を受ける(180日以内まで)。近日中に病院へ診断書を依頼して手続き予定。

母を見送ったあとの心持ち

 

実家の母を見送りました。

4月に卒寿(90歳)を迎え、もう買い物に行くのも料理するのもホントに大変だし、

こんな感じでいつまで生きるんだろね、いつ逝っても全然悔いはないのに…と言っていた母。

以前、体調を崩して入院した時に、臨死体験らしき経験もあって、

向こうの世界に行くのはぜんぜんコワくない!と、日頃から申しておりました(笑)

 

近頃は、二週間に一度くらい「大したことじゃないけど話きいて〜」と、定期的に電話がかかってきて、「お迎え来るまでもう少しガンバってねー!」ってな感じで終わるパターンでした。

 

↓娘が想像で描いた ハットを被ったお茶目な母

 

母のラストステージがどんなものになるのか、、、8年前、老々介護で父を自宅で見送った時とは異なる状況ではありましたが、よき道が示されると信じ、受け入れようと覚悟していました。

 

1ヶ月ほど前に体調を崩して兄がかかりつけ医に相談、その後、救急で総合病院へ入院して約一週間でした。容態が急変し、駆けつけた兄も看取ることはできなかったのですが、誰もが納得の最期でした。母と同居していた兄ファミリーと、私と娘で、一気に納骨まで済ますことができました。

 

父の時も感じたことでしたが、魂が抜けたあとの顔や姿は、私が知っている煩悩いっぱいの生前とは違い、聡明でスッキリとした、“神に仕える者” という表情だったんです。住職が仰って下さった通り、肉体を離れた魂は、お釈迦様のもとで修行をするために昇っていくというお話もしっくりきました。

私たちが見ていた母は、現世の目的を全うすべく宿った仮の姿であって、目の前の崇高なお姿の母が、本来の魂の品格なのだと気づかされるようでした。

 

 

兄からの電話で母の体調を知らされてから、一度だけヘンな夢をみました。

公衆電話で話を終えた父が、「ばあちゃんは病院でもう亡くなったよ」と伝えてくれる夢だったのですが、、、母が病院で面倒みてもらえて良かったという安堵の気持ちと、先に逝ってる父が伝えてくれるなんて笑っちゃう、と思いました。

(その日、歩いてる時にてんとう虫が顔にぶつかってくるというおまけも)

 

実際、その日に母は入院し、兄たち家族に過度の負担をかけることなく病院で亡くなることが出来たので、やはり父がサポートしてくれたのだろうと信じています。

 

 

私に沢山の葛藤のタネを与えてくれた母。

超マイペースで半径10メートル的な生活だった母。

昭和だったから、物差しで叩かれたり、玄関から出されたり、まあいろいろありました(笑)

お互い勝気で合わなかったし、趣味嗜好も違うし、母のようになりたくないエネルギーから、外の広い世界に憧れて飛び出した私でしたし。

以前、ブログでも母に口答えした時の話を書いた気がしますが、母が生きている間に、私の中に抱えていたマインドの変容もあり、母との魂の約束は既に果たせたと感じていました。

 

 

まだ一周忌もあるから仙台には行くだろうけど、両親がいなくなり行く理由がなくなってしまうと思うと、地元の根っこが途切れてしまうようで、なんとも言えない寂しさが漂ってきます。

兄と私も、決して仲が良い方ではありませんでしたが、長い長い年月、母と同じ屋根の下で過ごしてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。納骨が終わってから、兄ファミリーにも心からの感謝の気持ちを伝えることができました。

 

先月の卒寿のお祝いに悩み、花が好きだった母に、厳選したプリザーブドフラワーを送ったのですが、「すごく気が利いてる♡」と喜んでくれて、何度もお礼を言われました。最後に良いプレゼントが贈れて、私も幸せでした。

 

 

煩悩から解き放たれた母の崇高な表情をみて、私の目の前に現れている新しい葛藤も、もっと俯瞰して、感謝の気持ちでのりこえなきゃと思っている次第です。

 

2022年後半のジタバタを振り返って

 

あれよあれよという間に年が明けてしまいました。

元旦生まれの私は、年と共にひとつ歳をとってしまいます。

このお年頃になると、少し複雑な気分のお正月 … (笑)

 

販売のバイト生活がはじまって以来、土日や祝日とは無関係になってしまったのですが、

たまたま3日間お休みにできたので、少しお正月っぽく過ごせています。

 

キビシイ就活を乗り越えたものの、2つの仕事(友達のBAGブランドのサポート&インテリアデザイン)とは全く違う作業にパニックとなり、ブログを書くような精神的ゆとりが全くない、やっとやっとの日々でした。

そんな状況に加え、骨折〜入院という事件もありまして、この半年くらいの出来事を飾り気なしでシェアさせていただきます

 

 

● パート生活の衝撃

8月から週3〜週4ペースで始まった家具販売のバイト。

(ダブルワークどころかトリプルワークです)

 

周りの人の反応もいろいろで、「履歴書出しまくってようやく決まったバイトで〜」と伝えると、、、

「いいところに決まって良かったね」

という声もあれば、

「えっ、先方からオファーがあったとかじゃないの?」

「うそでしょ!それは違うと思う」などなど。

そのあたり、私は全く気にしていないのですが、面白いです。

 

そんなことより、長年、続けてきたインテリアデザインの経験が全く役に立たないどころか…完全に私は問題児状態!配送手配などの複雑なデジタル機器の操作やら、覚えることがてんこ盛りで、私の脳は、“パニック”に陥りました。出来ないことばかりで接客も恐怖、バイト先に向かうまでにトイレに2〜3回行くなど、お腹も泣いていました。

 

当初、パートの先輩からの言葉も辛辣で、“できない自分” にフォーカスしかけたのですが、友人から「それパワハラだよ」と言われ、担当の方に相談するなどして乗り越えた時期もありました。

それでも苦手作業がクリアできたワケではなく、問題児状態から脱却できない中、起きた骨折事件でした。

↓ ↓

 

● 手首骨折と骨粗しょう症の衝撃

BAGブランドの業務で名古屋で開催されるイベントに向かう途中、地下鉄駅構内の段差で派手に転倒。息が苦しく手のしびれもあったので、念の為、近くの病院で診てもらったところ、左手首の骨が2本折れていることが判明。翌日、地元の病院に行ったら、そのまま入院〜手術になっちゃいました。

手術の前にいろいろ検査する中で、骨粗しょう症も判明して、「2年間の治療」を宣告されました。ずっと健康診断も受けてなかったし、運動不足で若干不安もあったので、神さまが与えてくれた必然的なアクシデントと感じています。

 

ただ、全てが急な展開で、まさかの全身麻酔で二泊三日の手術。

娘にお願いしたこともありましたが、基本、入院も退院も事務手続きも一人だし、お金の心配やら、保険の申請やら、パート仕事の心配やら、おかしくなりそうでした。ひとり身だとこうなるんだな〜と、しみじみ実感した貴重な体験でした。

(デスクワークの再開は骨折から10日後、パートの再開は2週間後からとなりました)

利き腕ではなかったものの、片手作業は本当に大変でしたが、約1ヶ月が経った今、重い荷物は持てないものの、日常生活はほとんど問題ありません。二の腕の打撲痕は未だに残ってて、交通事故並みの打撲だったのかなと思います。

半年後には、固定用の金属プレートを外す再手術が必要らしいです!骨粗しょう症の治療は、自分で打つ注射(週2)と飲み薬。この治療費、保険がきいてもかなり痛い金額です。

 

● 仕事仲間を失う衝撃

女子3人で実務をこなしていたエシカルブランドの仕事。センス抜群でデジタル系のデザイン業務を担当していたスタッフが、突然、救急車で運ばれて入院。あちこち調子が悪いと言ってはいたのですが、脊髄の病であることがわかり、そのまま立てなくなってしまいました。入院中もオンライン上で業務のやりとりは続き、病気であることが信じられない気持ちでした。

でも状況は思った以上に深刻だったようで、一時退院したものの再入院となり、そのままお別れとなってしまったのです。何もできないまま、こんな風に突然、存在が消えてしまうのかという想いと、3人でギリギリこなしていた業務もこれからどうなってしまうのだろうと、気持ちの整理がつかないまま目の前のことをひたすら片付けていく感じでした。

 

わかっていることなのだけれど … 健康は永遠ではなく、命には限りがあって、ある日突然失われるかもしれないのだということが、静かに身に沁みてくるようでした。

彼女とは今も共に仕事をしていると私は思っていて、永遠のしごと仲間(戦友みたいな感じ?)です。

 

 

 

2022年後半の大きな出来事についての記録、大雑把な振り返りではありますが、ひとつひとつが本当に大切な出来事で、たくさん心が揺れ動き、悩み、行動し、また悩み、の連続でした。

 

これからの人生に必要な “未体験ゾーン” の学びが始まったような、そんな感じもしています。

新しい年も、おきることを信じ、古い自分や考えに固執せず、しなやかに流されていきたいと思っています。共にジタバタを楽しみましょう♡

 

思いの外、たいへんだった就活の巻

 

お陰様で、ようやく就活の日々に終止符が。

 

30年間、デザイン事務所で比較的自由な仕事をさせていただき、

まともに就活をしたことがなかった私のゼロからのチャレンジは、

なかなかキビシイものでした!

 

『アラカンおばさん就活STORY』で本が書けそうなくらい、

本当に、いろんな体験をさせていただきましたっっっ(笑)

 

 

約2カ月半の間、

セルフイメージがどん底に落ちたり、

結果待ちで吐きそうな気分になったり、

え〜い、もうどこでもイイや!と思ってしまったり、、、

 

本気で何度かくじけそうになりましたが、

沢山のサポートのお陰で、納得の結果です。

 

 

詳しくはまた書きたいと思いますが、

終わってみて、

タロットの通りでした〜!!

→タロットの記事はこちら

 

インテリア系SHOPにて、週4で販売を担当します。

ダブルワークOKなので、フリーランスとしてのこれまでの仕事と

折り合いをつけながらやっていきます。(定年もない企業♪)

 

 

ここ1カ月間は、人生初、単発バイトもやりました。

派遣先に登録して、物流センターでお中元のピッキング作業。

これも、スゴく良い経験でしたっ。

 

 

これまで、まさに行き当たりばったりの人生でしたが、

今回の就活を機会に、

70歳、80歳の自分の暮らしもイメージすることとなりました。

 

私の目標は、

リタイヤはしないで、

カラダを動かし、

人と交流できる仕事を続けること!

 

できれば2つくらいの仕事を同時進行でやっていたい。

そのためにも、健康は何よりの財産だとしみじみ感じています。

 

お世話になったハローワークの方に、報告とご挨拶に行った時に、

それまでの苦しさがこみ上げてきて、思わず涙が溢れてしまいました。

決まったのは、ハローワーク経由のお仕事ではなかったけれど、

心細かった時に、力強いお言葉をいただけたことが本当に有り難くて。

ハローワークのスタッフさんも、私の報告をとても喜んでくれました。

 

 

お仕事と、住むところの選択さえ納得できれば、

そこそこの人生になれる気がします。

一緒にサバイバルを楽しみましょう。

 

 

予想外の展開になりそうな60代の暮らし

 

就活ライフを続行中です。

面接でいい感触だった会社から … 昨日、「不採用」という通知があり、もっと謙虚な気持ちでのぞもうと猛反省!日々、ココロ揺さぶられることが多いですが、次の扉をあける前に、体験しておいた方がよい現実があるようです。

逃げずに、この洗礼を受けようと思います。。。

 

↑アロマディフューザー 広島に贈られた折り鶴再生紙&天然香料 を使用しています

 

一番最初に受けた社会貢献的な会社では、面接でPCスキルを勉強したり、諸々準備の必要があることがわかりました。体験させていただけるということになり、ウインドウズ (Macユーザーの私) の練習を友人に頼んだのですが、「PCスキルの問題じゃなく、仕事探しの方向性が間違っている!」と、さんざん説教されることに。他の友人たちも同意見でした(笑)

 

… ああ、これがタロットで出た、“自分で抱えきれないものを背負おうとしている自分か”…と苦笑い。現在携わっているエシカルブランドのサポートは、“ライフワーク”、もうひとつの仕事は“ライスワーク”として、全く違うスタンスでいくことにシフトしました。

 

 

こんな応援も。

2社目の面接の朝に気づき、、、あれっ???

網戸に丸い影が。

ベランダ側にまわってみたら、てんとう虫さんでした♡

肌寒い小雨の日だったのに。

それも、黒いてんとう虫〜!

(黒てんとう虫は、仕事などで良き結果を導いてくれる予兆)

父が応援してくれてるような気がして、嬉しくなりました。

着地点を信じて、一歩一歩です。

 

 

実は、予想外な流れになりつつあるのは仕事のことだけではなくて、70歳以降も見据えた、住まいや暮らし方についても、うっすらとイメージできるようになったんです。

ウインドウズの特訓をしてくれた友人から、将来の賃貸暮らしについて刺激を受けたこともあり、検索しまくっているうちに、自分らしい住まい方が出来そうな物件を見つけました。

 

人気物件で現在は空室もないようですし、仕事探しに目処がついてから、じっくりそちらの方にも着手したいと思っております。こちら、またご報告いたしますね。