自分を楽しむ、50歳のポジティブ離婚プロジェクト

資金ゼロ、シェアハウスでの別居生活6年間を経て円満離婚。へこたれ50代のライフシフト記録です。

娘のあっぱれな自立

週末は母の日という事で、
娘がプレゼント持参で、顔を見せに来てくれました。

とは言っても、
夜おそく来て、朝には彼氏がバイクでお迎えに来たので、
短いコミュニケーションでした。


当初、3日に一度は帰って来るよと言って
自立をはじめた娘でしたが、
やむを得ない用事以外は、
さっぱり帰って来ないし、メールもなし。

どんな気分なのかしら…と思っていたところ、
母の日プレゼントに入っていた手紙に、
こんな事が書いてありました。


『 いえを飛立ってから1ヶ月たちました。
何でしょう、ちっともさみしくはありません。
上手に育ててもらって、上手にひとり立ち
させてもらったのでしょうね。
私が巣から勇気を振り絞って地面をみている
ヒナだったら、
優しく流れる そよ風のようなままちゃんですね。
ありがとう。 』


いやいや、こちらこそ、ありがとう。

ほっと一安心 、、、でも内心は、
あっけなすぎて、ちと さみしいくらいだぞ〜 (笑)
(※ちなみに、いつもは “おかぁ”と呼ばれてマス)


娘の自立は、本当にあっぱれで、
(爪のあか貰いたいくらい…)

一年以上前から、友人とシェア住まいをしたいと言って
バイト代をコツコツ貯金していました。

結局、友人とのシェアはできなかったのですが、
自分らしいユニークな就活で就職先も決め、
親に何の手間もかけずに、
シェアハウス暮らしをはじめました。

大学生活と仕事の両立も、凹みながら頑張っているようです。

素晴らしい先輩方に囲まれ、シゴいていただきながら、
今は、新たなイベントに向け、準備に忙しいらしい。


…な〜んて、
子育て自慢みたいな話になっちゃいましたが、、、

ここからは … とんでもない勘違い母だった頃のことを、
書きますね〜。



かつて、自分は常識人と信じてた私は、
( “イイ人”っていうのが、一番くせ者〜!)

スーパーの入り口で、娘に延々お説教、
ファミレスでうるさいグループがいれば、
わざとらしくジロリと視線をおくり、
娘にイヤな顔をされたりしてました。


ところが、、、

今から6年くらい前、

体調を崩し、
どう生きていいかもわからなくなってしまった私は、
病院、整体、自然療法、催眠療法、カウンセリングと…

もう 手当たり次第。


周りからは、仕事もバリバリこなす
理想のママみたいに見えていたかもしれませんが、

毎日、仕事場に行くのも苦痛だし、
家では、完全に夫とすれ違いだし、

私の中は、自己嫌悪でいっぱいでした。

娘をあたたかく見守ってあげられるハズがありません。


その後、人生哲学からスピリチュアルな本まで読みあさり、
心理学を学んだり、生き方の参考になるようなセミナーに
参加したりするようになった頃から、

思春期で不安定だった娘も変わりはじめました。
学校も、部活も、
楽しくて仕方ないという感じになりました。



その時、思いました。

親が、子どもに、なんだかんだと立派なことを言うより、
生き方を探して謙虚に努力している自分の姿を見せる方が、
ずっとずっと伝わるものがあるんじゃないかなって。


いつまでも子供扱いして、
親が上から目線で、口うるさくして
コントロールしようとすればするほど、

子供の心は離れていく。。。


《 三つ子の魂、百まで 》と言われますが、
何歳からでも、子育ての方向修正はきくと思います。


“ 子供を躾けなきゃ ”
な〜んて考えはきっぱり捨てて、
“ お母さんも一緒に育つよ、どんな時も味方だよ〜 ”
ってな姿勢でいるのが、私はいいと思う。


そして、娘からは良く、
“ 子どもは、頼られると嬉しいンだよ ”
と言われます。
( これが、なかなか、まだ上手に出来なくて … )


どんなに小さい子どもであっても、
相談したり、頼み事をしていいんです。


親が、心の声を、真剣に伝えれば、
子どもは真っすぐな気持ちで、
ちゃんと理解しようとしてくれると思います。

そして、自分は人の役に立てる人間で、
人を助けたり、喜ばせる事ができるんだと、
感じる事ができるんですね。


私も、もっと上手に娘に甘えられる母に、なりま〜す。